世界がぜんたい

ぼくは最近
マクロに歪んだミクロな
経済行為やら生殖行為の
ことについて考えていて
「世界がぜんたい
幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない」
という賢治さんの言葉は
そう思いたい気持ちは
よく分かるけれども
間違いであると思い始めた
そもそも世界がぜんたい
幸福になるなんて
あり得ない話であるし
ヴェイユのような人を除いて
「世界がぜんたい
幸福にならなくてもそれなりに
個人は幸福であり得る」
というのが実態で
ぼくらはみんな平気で
牛の肉も食べるし
賢い哲学者のように
都合よく判断を中止して
隣の家やら地球の裏側の
他人の不幸に目を瞑る
知的でミクロな生き物だから




鈴木大拙館にて