【 解離症状の実例 】    赤城高原ホスピタル

(改訂:03/07/30; 49例)


[ はじめに ] 

 解離症状では、体験や、感情、感覚、意識の一部が統合を失い、意識化されなかったり、感じられなかったり、なくなったように感じられたりします。

 解離症状は、正常から病的症状まで連続性のある意識の状態で、正常者では、読書に没頭しているような状態、映画館で好きな映画を見ている時、ぼうっとしている状態、空想にふけっている状態、白昼夢のような状態が軽度の解離状態といえます。

 一方、重症の病的な解離症状は、一般の方には理解が困難かもしれません。精神科医や心理カウンセラーでも、幻覚、妄想や混乱状態と混同してしまい解離症状を把握していない場合がしばしばみられます。また一応の知識は持っていても、この症状を経験し理解していないと見逃してしまうことが多いようです。

 ここでは、筆者が直接治療にかかわった患者の病的な解離症状の実例を報告して、理解の助けにしたいと思います。


[ 解離症状の実例 ]

◆[ヴェール] 
自分の周りにヴェールがかかっているようで、現実感がなく、目の前の出来事が遠くで起こっているように感じます。
(このような状態を離人症といいます。離人症は解離症状の1つです。離人症で見られやすい症状としては、自己体験や自己身体、自己感情の自己所属感が減弱したり喪失したりします。 ⇒ 「自分の体が自分の一部のような気がしない」「感情がなくなったように感じる」)

◆[真っ黒クロスケ] 
その状態(解離状態)になると、1日中、古い映画のスクリーンを見ているようで、視野の中を黒い虫がぞろぞろはいまわります。その虫をよく見ようとすると、虫はさっといなくなります。トトロの中のシーンみたいです。

◆[一過性全健忘] 
小さいころ、ハッと気がつくと、自分の名前以外はなんにも、住所も電話番号も、父や母の名前すら思い出せない事がありました。どうしようどうしようと焦っているうちに、数分から数時間かけて、少しずつ思い出すのです。そのことは、最近まで誰にも話せませんでした。そんなことを話したら、「そんな子はうちの子じゃない」といって捨てられるに違いないと思っていました。

◆[白昼夢の癖] 
白昼夢の癖が小学生のころ始まり、25歳の現在まで続いています。はっと気がつくと、独り言をぶつぶつ言っていたり、知らない間に数時間もたっていたりします。

◆[10歳で誕生] 
小学校時代の友達から、こんなことがあった、あんなことがあったと聞くたびに、そうかなあと思う程度で、聞いても思い出せません。小学生以前の記憶がほとんどないのです。「あなたは生れたときに10歳だったのよ」 と誰かに言われても、反論できません。(最近、性虐待の記憶を取り戻しつつある20代女性)

◆[過食の記憶] 
朝起きると、部屋に散らばっているゴミや食べかすと胃が重苦しいことから、昨夜過食したことがわかります。料理までしているのに、その記憶が全くありません。(過食症患者では、この種の報告は珍しくありません)

◆[味覚障害] 
その状態(解離状態)になると、食事中も味覚がありません。確かに食べているのだけれど、全く味がないのです。だから何を食べているか分かりません。目を開けていると何を食べているかは分かりますが、目を離すと分からなくなります。

◆[カラー映像] 
父の死ぬ姿が、カラー映像ではっきりと見えます。これは現実ではないと分かってはいても、パニックになってしまいます。今は、これはフラッシュバックだとわかりますが、昔は現実とフラッシュバックの区別がつかず、発狂しそうになりました。(子供時代に、父の発作から死までの3時間をただ一人で居合わせ、見続けた女性)

◆[感情の脱失] 
トラウマのエピソードだけを覚えていて、その時の感覚や感情の記憶がまったくないのです。(身体的虐待、性虐待の被害者)

◆[記憶のない自傷] 
同棲中の20代の女性が、突然トランス様の表情になり、「お母さん、怖いよう。痛いよう。ごめんなさい」と泣きながら、転げまわります。その時に年齢を尋ねると、5歳だったり、10歳だったりします。私がだっこしたり、膝に抱き上げて、優しく話しかけていると、数分から数時間で元の自分に戻ります。元の人格になってから、別人格の時間の記憶について聞いてみると、全くなかったり、たまにぼんやりとあったりします。左手前腕に多数の浅い切傷、右下腿外側に大きな切傷がありますが、いつできたものか本人自身にもわからないようです。傷の方向から見てすべて自分で切ったとしか考えられません。右下腿の傷は大きなケロイド状になっていて、明らかに縫合していません。(身体的虐待サバイバー、解離性同一性障害、20代女性の内縁の夫)

◆[解離性フラッシュバック] 
18歳の美しい女性患者が、自傷行為と自殺未遂の繰り返しのために入院しました。主治医(男性)が夜間消灯時の見回りに行くと、患者は引きつった恐怖の表情で一瞬医師を見つめ、あわててベッドの下にもぐりこみました。看護婦の辛抱強い説得に応じて30分後にそこから出てきた患者は安定剤の注射でやっと寝ました。しかし患者は翌日この時のことを聞かれても全く記憶がありません。(性虐待被害者)

◆[分身の術] 
子供のころ、自分が自分の横にいるという体験がよくありました。今でも、緊張する場面でそういう状態になります。(被虐待者)

◆[痛みのある自傷行為] 
自傷行為は中学時代に始まりました。母に叩かれる前に自分で自分を罰するのです。私の場合には、自傷行為の時も痛みがあります。中高時代は、上腕の内側や内股など、他人の目に触れない場所をかみそりできっていました。高校を卒業すると、自傷行為がひどくなりました。はさみの先で、手足の血管を突き破り出血させます。頭の中に冷汗をかいて、気が遠くなりそうな痛みを感じながら、傷をつけます。そしてある日、数時間の記憶がなく、気がついたら、カッターで手足を切って、血の海の中に寝ていました。

◆[覚えのない衣類] 
気がつくと、自分が選んで着た覚えのない衣類を身につけていることがあります。

◆[意識を体から離す] 
聞きたくないことを言われたり、叱られるとき、私は自分の体の後ろに隠れるように、意識を体から離すことができます。考えてみると子供のころからそうして自分が傷つくことを避けていました。

◆[抑制可能な解離性障害] 
私の場合は、軽度の解離障害が短期間出現しますが、ある程度はコントロール可能です。たとえば、赤城高原ホスピタルのHP(被虐待者の声やこのページ)を見ると、息苦しくなり、過呼吸になり、頭がぼーとしてきます。放って置くとそのまま解離状態に入って、数時間たって気がついたりします。だから今では、ちょっと危ないかなと思ったら、私の好きなファッション関連のHPに飛んで、少し見ていると現実感を取り戻せるといった具合いです。(20代、性虐待サバイバー)

◆[明細書] 
するすると記憶が逃げていく感じです。10万円以上もする衣類を買っていることに帰宅してから気づきます。私にしては高い買物なのにどこで買ったのか覚えていません。レシートが出てきてデパートで買ったことが分かります。お金の出所がわかりません。ハンドバッグの中を探し回って、明細書を見て初めて、自分が銀行に寄ったことが分かります。

◆[裸は無垢で美しい] 
小学生の頃から父に性器をいじりまわされていました。強姦もされていました。でも、私がどうにも許せないのは、別のことです。父は私に、恥ずかしがることを、恥だと教えたのです。裸は無垢で美しい。子供は恥ずかしがるものではない。裸を恥ずかしいと思うのは、下賎の民の習慣だ、というのが父の言い分でした。
 私がおふろからあがると、私が自分で用意しておいた着替え用の下着を父がたんすに戻してありました。私は、知人や親戚のいる前を、父がドアを開け放っているので丸見えの場所を裸で歩いて下着を取りにいかねばなりませんでした。タオルで体を隠したりすることは禁じられていました。水泳の授業などで、学校で水着に着替える時も、友人がタオルで隠しながら着替えるときに、私だけは素裸になって着替えていました。学校中の話題になりました。
 中学校から、私は情緒障害になり、失神発作を起こしたり、救急車で運ばれたりして、精神病院に入退院を繰り返すようになりました。中学高校時代は、子供時代の記憶がほとんどなく、混乱状態のまま高校を中退しました。上記の水着のことも、18歳頃に思い出したことです。詳しく思い出そうとすると頭痛がしたり、過呼吸発作が起こったり、失神したりします。(22歳、特定不能の解離性障害の女性)

◆[借り物の体] 
集団レイプの被害にあって2カ月後、暗闇の中を近づいてくる男性を見たとき、突然おかしな気分になりました。身体感覚がなくなり、顔に触っても自分の顔じゃないのです。借り物の体にいる感覚です。それから後はおかしなことばかり・・・。 急に暴力的になってしまい、食器を投げつけたり、自分のひざにフォークを突き立てたりしました。とうとう先日は、気がついたら駅員さんに殴りかかっていました。誰か私を止めてください。(成人後の集団レイプ事件だけでなく、幼児期に身体的虐待、性虐待を受けている女性)

◆[期待と現実] 
自分が実際に或ることを実行したのか、単にそうしたいと思っただけなのか、どうしても思い出せないことがしばしばあります。

◆[連続白昼夢] 
子供のころから、苦しい時には心を閉ざして、目前の必要最低限のことだけをして、時間が早く通り過ぎるように祈るようにしていました。そうすると、本当に数日間がどんどん過ぎてあっというまに間に数週間過ぎてしまうように思われました。ただその間にあったことは、印象がほとんどなくて、夢か現実かわからないし、記憶も曖昧でした。半分白昼夢のような状態といえるかもしれません。

◆[骨折] 
嫉妬深い彼に殴られて、頬の骨が折れましたが、その時も痛みは感じませんでした。怖い感じと、一方で、自分がこんなに求められているという幸せとの両方でした。翌日、治療に行ったら、「骨折している。なぜ救急車を呼ばなかったの」と看護婦さんに驚かれましたが、私はキョトンとしていました。とにかく痛みは全くありませんでした。

◆[解離性フラッシュバックと自傷行為時の無痛覚] 
性虐待の記憶を回復するにつれて、虐待時の感覚が無秩序に出現します。夕方から夜にかけての方が多いのは、その時間帯に虐待が多かったことと関係があるかも知れません。10年以上前、陰部と内股に煙草の火を押しつけられた痛みを突然感じて、泣き叫んでしまいます。看護の方から聞いたところでは、その時は小学生の自分になっているようです。そのようなことがあった日には、よく手首を切ったり上腕に噛みついたりしますが、その時の痛みは全くありません。自傷行為の記憶そのものがないこともあります。そういう時には、翌日右手に残る歯型から自分が噛みついたことがわかります。(20代後半女性)

◆[痛覚脱失] 
21歳の時、ある夜、なぜか無性に自分を傷つけたくなり、カミソリで左手首、左前腕、左肘、右の首を切りつけました。部屋中血の海になりました。60 針縫合しました。私はもともと痛みには鈍いところがありますが、特にその時には全く痛みを感じませんでした。もちろんその日、私はまったくのしらふでした。その日の傷を含めて、今までに全身の自傷行為で 100 針以上の縫合をしています。(被虐待体験のある28歳女性)

◆[解離のスイッチ] 
苦手な人が話し始めて、何かの言葉か態度が、私の(解離の)スイッチに触れると、その時、私の人格がパチンと割れるのです。怒っている私はどこかに飛んでしまって、抜け殻の私が、役割行動を自動的にとってしまいます。相手の言ってることなんかほとんど聞いていないのに、「あーら、それは大変でしたねえ」とか、「おもしろいお話しですこと」とか、その場の雰囲気にだけ合わせて言ってしまうのです。今はその分裂が説明できるけど、以前は、訳も分からず、気がつくと、どういう話しをして、どういうふうにその人と別れたのか分からず、その間の記憶がなくて、別の場所にいるということがありました。(被虐待者、30歳女性)
 
◆[おねしょ] 
恥ずかしいことですが、25歳の今でも、おねしょをしてしまいます。トイレの中で、これが夢か現実かどうしても分からなくなってしまうのです。時々は、実際にトイレにいるのに、もしかしたら夢かもしれないと思い始め、排尿できないで困ることがあります。そして、時にはその逆で、トイレのつもりで排尿すると、これが夢の中の出来事で、おねしょをしてしまうのです。ですから、外泊は不安でたまりません。実際にほとんど外泊しないようにしています。幼児期におねしょをした時に母からひどく殴られたこと、児童期に何度もトイレに閉じ込められたことなどが影響しているようです。 

◆[口が利けない訳] 
治療を始めた頃は、緊張する場面、恐怖を感じそうになると、すぐに固まってしまい、口が利けなくなっていました。今から考えると、その時には解離していたのです。感じるとバラバラになる恐怖がありました。今は、先生や看護師さんなど、安全そうな人が近くにいれば、感じてもOKだから、以前のように固まることは少なくなりました。

◆[記憶回復と離人症状] 
トラウマの記憶を回復するのと平行して解離症状の頻度が増え、内容もひどくなりました。ぼんやりと山手線を何周もしている自分に気づくことは子供の頃から時々ありましたが、入院直前には、知らないうちに線路に降りていて、駅員さんに引き上げられたりしました。歩行中にフラフラと車道に出て車にはねられ、左半身にひどい打撲傷を負ったので専門施設に入院することになりました。

◆[遅刻常習犯] 
子供の頃から、ほとんど約束の時間に間に合ったことがありません。出かけていく途中で記憶が途切れ、駅のホームでぼうっとしていたり、乗り過ごしたりするからです。電車の中で立ったまま、数分間から数十分間の記憶がないことに気づくこともよくありました。もっとひどくて、約束があって出かけた後の記憶がなく、約束の時間を過ぎて、くたくたになって自宅にいる自分に気づくこともありました。約束をすっぽかしたまま、どこかを歩いていたようですが、その記憶がありません。てんかんを疑われて何度も脳波をとりましたが異常は見つかりませんでした。今から考えると解離症状のためだと思います。白昼夢や離人症もしばしばあります。(性虐待被害者、30代女性)

◆[他人の顔] 
過食がひどい時、鏡に映る顔がどうしても自分とは思われませんでした。どうしてこんな他人の顔になったんだろうと不思議でした。

◆[離人症] 
中学時代の私は自分が喋っているのにその実感がなく、自分の周りに幕があるような感じで現実感がありませんでした。魂が抜けたような感じで、感覚が鈍くなっていました。赤城高原ホスピタルに入院して2ヵ月、その状態には「離人症」という名前があって、それはトラウマ体験と関係があるのだと教えてもらいました。そういえば、私も小中学時代を通じて父からの身体的暴力を受けていました。私が高校1年の時に両親が離婚したので、父の暴力からは逃れられましたが、それから兄の家庭内暴力が始まりました。23歳の今でも時々軽い離人症になります。(摂食障害+頻回の自殺未遂、3歳年上の兄はうつ+ひきこもり+家庭内暴力)

◆[解離性記憶障害] 
私が小学5年の時、タバコを買いに行かされました。父の言った銘柄がなかったので、タバコ屋のおじさんの勧めで別のを買って帰りました。父はいきなりそのタバコを私の顔に投げつけ怒鳴りだしました。私が言い訳をしてすぐに謝らなかったので、私は雪の庭に蹴り出されました、ということです。変な表現でごめんなさい。実は、この出来事は最近母から聞いたもので、私にはこの事件の記憶が全くないのです。このことを含め、私には小学校から中学時代の記憶がほとんどありません。(摂食障害+アルコール乱用+解離性記憶障害+自傷行為、20歳の女性)

◆[自虐的幻聴] 
小学校高学年からかさぶたをむしる癖がありました。血を見るのが好きでした。中学2年生頃には、自分の中に誰かがいる気がしていました。「やっちゃえ」というような自虐的な言葉が頭に浮かんできて、気がつくと左手をカッターで切っていました。意識的に親への反抗で手を切ることもありました。成熟してくる自分の上半身を見ると吐き気がしました。高校生になると、縫合が必要な位の深い傷を作るようになりました。自分の首に爪をたてたり、タオルで首を締めたりしました。そういう時には自分の体が自分のものと思われません。「死にぞこない」、「殺したれ」、「殺しちゃいなよ」、「オレを困らせるな」などという声が聞こえることもありました。酒と処方薬をまとめのみすることが多くなり、専門病院に入院することになりました。父はめちゃめちゃに私をかわいがりましたが、じゃれあいの中には性器や乳房への刺激が含まれていました。(20代女性)

◆[キレる癖] 
気がつくと、ボーイフレンドが頭から出血して倒れていました。私が殴りつけたんだと彼が言うし、状況からみて実際それ以外は考えられないのですが、私はあまりよく覚えていません。セックスの途中で、フェラチオを要求されて、やり掛けている時に、急に私が大声を上げて、陶器の灰皿で彼の頭を殴りつけたのです。彼によると、私は最近、キレやすいとの事です。彼には申し訳なく思っています。これまでになかった「キレる癖」について、心配になって、専門医を受診しました。精神科医に相談しているうちに気づきました。

なぜか最近になって、2年前のレイプ被害の出来事を何度も何度も思い出します。最初の1時間を過ぎると、私は、怒りも悲しみも感じなくなり、何の感情も持たないまま、男の要求を全て受け入れてセックスプレイに応じたのです。ただただ冷静に、男の機嫌を損ねず、早く引き取らせることだけを考えていました。最近、私は、自分を責める癖をやめられません。どうして私は、4時間もの間、あの男の言いなりになったのだろう。どうして男の性的な冗談に笑ったりできたのだろう、と考えてしまいます。もし今度、同じ目に会ったら、どんなに強い相手でも、たとえ自分が殺されるようなことがあっても、あそこを食いちぎってやる。考えたくもないそんなことを考えてしまいます。精神科医の説明によると、「キレる癖」を含め、これらの症状は、全て、レイプ被害の後遺症、PTSDの症状だと言うことです。トラウマの数年後に症状が顕在化することもありうると聞きました。(25歳女性)

◆[解離性同一性障害と記憶] 
院長先生を初め、5−6人の精神科医や3−4人のカウンセラーに解離性精神障害と診断されましたが、いまだに信じがたい気持です。時には記憶が飛ぶんですが、意識と記憶が保たれている時もあって、そういう場合には別人格の時、自分の後ろに自分がいる感覚があって、「いけない。このままでは周りの人に迷惑がかかる。何とか本来の私に戻らなければ」と思ったりするんです。だからといって、意識的にわざとやっているとかいう訳ではないし、戻そうとしても多くの場合戻りませんけど。(時々面接室でいたずら好きの幼児になってしまう20代の解離性同一性障害の女性)

◆[記憶の蓋] 
治療によって、記憶の蓋が取れてしまったようです。ホスピタルに入院して2ヵ月後、5分ごとにフラッシュバックが襲います。父の暴力、小学時代のいじめ、母の暴言を思い出し、その時の痛みと感情が湧き起こります。気を張っていると、現実と区別がつきますが、気が緩むとトラウマの映像が次々と浮かび、それがビデオのように連続したシーンになってしまいます。泣き喚いているうちに、幼児言葉になってしまうようです。時には、このような体験のうち、トラウマの状況を省いて、全く理由不明で、ただ恐怖感だけが突然私を襲います。体中の毛が逆立ち、恐怖にうち震えます。やっと眠りにつくと、前の主治医に殺される夢だとか、自分が恋人を殺している夢だとか、悪夢をみます。体をよじってうなっているので、隣ベッドの患者が看護婦を呼んでくれました。(28歳、PTSDの女性)

◆[危険な人、安全な人] 
ホスピタルから東京へ外出する往復の電車の中でも離人感や未視感(ジャメ・ヴュ)が出てきます。小学校低学年の時、痴漢被害に遭ったのですが、その加害者に似た男に会うと、多分この前のように(記憶が)飛んでしまい(解離していまい)、車掌や駅員さんの手を煩わすことになるので、そういう時には、電車の中やプラットホームを見渡し、必死で院長やケースワーカー、ナースに似た人を探します。見つかるとほっとして、現実の世界に留まる事ができます。(28歳、性虐待被害者、摂食障害+PTSD+解離性障害の女性)

◆[ウソつきの訳] 
いつのころからか、自分の体を2人以上の人が共有して生活していました。他人からは同じ人でも、私たちにとっては、それぞれは別の人です。子供のころから、自分に身の覚えのない出来事の責任をとらされたり、嘘つき呼ばわりされました。はっきり、「あなたは優しくていい人だけど、ただ、時々ウソをつくところだけが欠点よね」と言われたこともあります。小学校高学年からは、絶対に自分じゃない、記憶がないという時でも、ごめんなさい、と謝ることにしていました。経験的に、自分の記憶に頼ってスジを通そうとすると、ひどい結果になると分かっていましたから。そういう理不尽なことがどうして起こるのか理解できたのは、多重人格という診断をつけられて、その説明を聞いてからです。(解離性同一性障害の女性)

◆[解離性フラッシュバック] 
突然彼は、子供時代の虐待体験を思い出すらしく、殴られる子供のように、頭を両手で防護して、「どうして僕をいじめるの」と言って泣きじゃくるのです。そうかと思うと、私が彼の言い分に反発して、2人が対立したりした時、すごい勢いで怒って、飛びかかってきます。いずれの時も、普段の彼とは全く違う別の人に変わっています。また、後で聞いてみても本人には記憶がないようです。(解離性フラッシュバックと解離性同一性障害を持つ男性の恋人)

◆[誘発されたフラッシュバック] 
早稲田大学学生による女子大生レイプ事件以来、自分自身がその事件に巻き込まれているという悪夢でうなされます。頭ががんがんして、冷汗をびっしょりかいて目覚めます。目が覚めても動悸が治まらず、本当に今はもう大丈夫なのか、自問自答してもなお現実感がなくて、安心できない時には、自分の腕を強くつねってしまいます(20歳、21歳時の2回レイプ被害を受けた女性)。

◆[自傷行為] 
私が幼稚園の頃から、家の中では暴力と叫びが飛び交っていました。父が刃物を持って荒れ狂い、しばしば母や兄を傷つけていました。なぜか父は私には暴力はふるいませんでしたが、私は高校時代から自分で自分を傷つけるようになりました。家族を父の暴力から守れなかった自分が許せませんでした。自室に隠れて両方の前腕をカッターで切ります。痛みはほとんどありませんでした。母や兄が傷つけられる時の方がもっと痛みを感じたような気がするくらいです。切傷がぱっくり開くとほっとしました。自室には消毒薬や包帯があって、隠れて自分で治療しますが、たまに深く切りすぎるとその時に少し痛むだけです。火傷をつくることもあります。ホスピタルに来て、多くの自傷患者に会い、私だけではないんだ、と分かりました。自傷の理由付け、やり方などは、それぞれ少しずつ違うようですが、あまり痛みを感じないのは共通しているように思います。

◆[死んだ心のまま生きてきました] 
多分3歳頃から父の性虐待を受けていました。記憶が曖昧と言えば確かにそうです。でも幼稚園頃からの記憶は確かです。それは小学6年の初潮の時まで続きました。その年、最初の自殺未遂をしました。「なぜ親にもらった命を粗末にするんだ」といって、父から殴られました。私の心はそのとき死にました。24歳の今日まで死んだ心のまま生きてきました。6ヵ月前のある日、突然頭の中に虐待の時の状況や映像、感覚が溢れ出しました。以来、今日まで1日も心が休まることがありません。気がつくと壁に頭を打ちつけています。その時の私は5歳だったり、10歳だったりします。夕方にそういう状態になることが多いのは、夕方に虐待を受けたことが多かったからのようです。

◆[リカバードメモリー] 
夫に言われるまで、私自身、自分にそんな問題があるとは知りませんでした。結婚して3ヵ月ほどしてから、夫に言われました。時々セックスの時、私が「パパ止めて!止めて!お願い」と大声で叫ぶのだそうです。その時、夫から見て私はパニック状態か茫然自失状態の別人になっているということです。完全な失神状態のこともあります。私自身の体験としては、セックスの途中から空白状態で記憶がなく、ぐったりと疲れた状態で目覚めます。

 夫に指摘されてから数カ月の間に、少しずつ、少しずつ記憶がよみがえってきました。―― 以前から、私の小学校時代以前の記憶には霧のような幕がかかっていたのです。―― 私の幼児期、父は情緒不安定な暴君でした。両親の夫婦仲が悪く、両親は別室で寝ていました。幼稚園から小学時代、私はいつも「膀胱炎」を起こしていました。母からは「膀胱炎」と言われながら、なぜか私は近所の小児科医ではなく、隣町の産婦人科を受診していました。そこでの治療(の一部)は膣にめんぼうを差込み、性器の周りに軟膏をつけるというものでした。同じ頃、私はひどくませていて、同級生の女子の性器に関心を持ち、いたずらをした記憶があります。私はパパのベッドが怖くて近づけませんでした。小学校時代、夜起きると、自分の股の間に、男性の頭があるという体験が何度かありました。小学低学年の頃、私は夜間にふらふらと外出して徘徊し、近所の人や警察に保護されたことが何度かありました。「夢遊病」と言われていました。小学3年の時、夜間に自宅の階段から転げ落ちて、右手首を骨折しました。何かから逃げ出そうとしたのです。私の寝室とトイレは1階にあり、夜間私が2階に行く理由は何もありません。2階には父が寝ていました。その後、しばらくは母が私と一緒に寝てくれました。その母は病弱で、私が高校生の時、なくなりました。そして最後に、私は夫以外の男性を知りません。男性恐怖症なのです。夫は一見したところ性別が分からないほど女性的です。考え始めると、頭痛がしたり、恐怖感で体が震えだし、続けられません。今のところ、それ以上は思い出せません。

 私は、高校時代から、軽度の摂食障害(拒食と過食の繰返し)と自傷行為(手首切り)の癖がありましたが、受診したことはありませんでした。結婚1年目に安定剤とアルコールの乱用を繰返し、専門病院に入院になりました。 (21歳、解離性障害の女性。いわゆる幼児期の性虐待の記憶回復、リカバードメモリーの症例)

◆[母の解離性障害] 
私の日記帳にクレヨンで子供っぽいいたずら書きをしたり、最近では、いじわるなコメントを書き込んで嫌がらせをしている人が私自身の別人格以外には考えられないので、ようやく自分の解離性同一性障害の診断を受け入れることができるようになりました。そして治療面接で、自分の子供時代を振り返っていた時、思い出しました。母は情緒不安定で、よく左手首を傷つけて包帯をしていました。私の目の前で手首切りをしたこともあります。私が小学校5年位の時、両親が派手な夫婦喧嘩をした後で、確かに母が3歳くらいの幼児になったのです。母のその姿を見ると、父は攻撃の手を緩め、「わかった、わかった」と言いながら、どこかに行ってしまいました。私は一人で幼児語を使う母の相手をしていました。よく考えると、その前にも、その後にも、母が幼児になることが時々ありました。人が変ったように乱暴な人格になることもありました。そのなぞがやっと解けました。母も解離性同一性障害だったのですね。(28歳、解離性同一性障害の女性)

◆[痛覚脱失] 
子供の頃からよく両親に物差しで殴られていました。そのうちに、お仕置きの時に、自分を地球の外、宇宙のかなたにパッと自由に飛ばすことができるようになりました。そうすると痛みをほとんど感じなくてすむのです。お仕置きの時にも私が泣かないので、両親は私をかわいくないと思ったらしく、だんだん虐待の手段がエスカレートしてきました。小学3年の時、私の万引が見つかって、母が学校に呼ばれました。家に帰ると、両親で話し合った後、父がモグサを持ってきて私の目の前に置き、母がいつになく優しい声で、「今日は、少し痛いお仕置きをしましょうね」と言いました。すぐに両親が何をしようとしているか分かりました。私は「いいわよ。どうぞ」と返事しました。ほかに何ができるでしょう。その前のお仕置きでおしっこをもらしてもう1度叩かれたので、その時私は先にトイレに行って、静かにテーブルの前に座り、父に言われるままに左手を差し出しました。私の小さな左手の人差し指と中指の間でモグサがぶすぶす燃え、肉が焼け、煙が上がるのを私はじっと見ていました。今でもその傷が残っています。でもその時は全く痛みを感じませんでした。そしてその時以来、私は急性の痛みに関しては、どんな痛みも感じません。痛みからは自由になりました。ただ、その頃から小動物をいじめたり、自分で自分をひどく傷つける(左手に火傷を作り、手首や前腕を刃物で切り刻む)癖が始まりました。(身体的虐待や性的虐待、痛みを伴う医学的処置などを繰返し受けた子どもでは、このような高度の自己催眠の能力が見られます。このような人々の一部は成人後でも、意識的に、あるいは危機状態でほぼ自動的に、解離状態を作ることができます)

◆[暴力と離人症] 
暴力場面を見たり聞いたりした時、あるいは暴力を予感させるような場面で、私は突然おかしな感覚に陥ります。海の底からぼやけた太陽を見上げるような感覚です。恐怖で気が遠くなり、金縛り状態で動けなくなります。時間が止まって永遠に続くような気がしますが、実際は2、3時間で徐々に回復するようです。これは、子供の頃、父から暴力を受けていた時の感覚です。忘れたいのに忘れられない恐怖の記憶です。一度この状態になると、その後数日間は、現実感がなく感覚が鈍くなったような、おかしな精神状態になります。「離人症」というのだそうです。私は、「もう嫌、この記憶を私の頭から消し去って!」と心の中で叫びます。でもそうすると、一方で、「どうして私を忘れるの?」と、私の中の小さな声が聞こえます。自分でもこれが幻聴だとは分かりますが、はっきりとした現実の声です。 (1999.10. Y.K. )

◆[空白の時間] 
5歳のとき、両親が離婚しました。子供の頃、お母さんから殴られる毎日の中で、「自分は悪い夢を見ているだけだ。目が覚めると、お母さんは優しくて、お父さんも一緒にいて、友達もいっぱいいて、あしたは夢から覚める」、と思うようにしていました。でも、悪夢から覚めないまま、思春期になりました。小学生高学年から、記憶が飛ぶことがあって、空白の時間の出来事について、お母さんや友達から嘘つき呼ばわりされました。お母さんにぶたれたときに机の角に頭をぶつけたからだろうと思っていました。今から考えると、中学2年頃から別人格があったみたいです。自分の体験としては空白の数時間があって、その間に誰かに会ったりしているらしく、後で友達からそれを指摘され、その時の様子が変だったと言われるのですが、私にはまるで記憶がないのです。そんなことがあって、もともと数少ない友達が離れていき、だんだんと孤立してしまい、いじめを受けるようになりました。17歳の時、数年ぶりで会った父が、私の人格変化(スイッチング)に気づき、驚いて「多重人格」についてインターネットで検索してこのホームページにたどり着きました。父が私をホスピタルに連れて来てくれました。(解離性同一性障害の女性、17歳)

◆[妹への虐待]
母のしつけは、はっきり言って虐待でした。私もたまには殴られましたが、母の暴力の大部分は2歳年下の妹に向かいました。どういう訳か妹は要領が悪くて、ヘマをしては母に殴られていました。

私は15歳から摂食障害になりました。やがて自傷行為が始まりました。治療の甲斐もなく、病気はどんどん進行しました。最近、手首を切りながら、妹を救えなかった自分、生き残った自分を責め、妹の苦痛を分かち合おうとしている自分に気づきました。摂食障害になって6年目です。封印していた思い出をやっと主治医に話せました。

妹が7歳の時です。反抗的だった妹が母に殴られたうえに庭に放り出されました。寒くて凍えそうな雪の日の夕暮れ時でした。薄着の妹は、寒くてたまらず、犬小屋に入り込んで、犬にしがみついていました。私は母に「かわいそうだから助けてあげて」と嘆願しました。母の返事は「おまえも外で過ごすか」でした。私は怖くて震え上がり、それ以上何もできませんでした。母の目を盗んで、妹を見に行ったけれど、どうすることもできないので、妹のことを頭から消し去り忘れるように自分に言い聞かせました。それでも心配でたまらないので、妹とけんかしたときのことをいっぱい思い出して、頭の中で妹をむりやり「悪い子」にしたてあげました。その事件の結末は思い出せません。数年後に妹は池に落ちて水死しました。その後私は、何度かこのことを思い出しそうになりましたが、その度に自分の頭から妹を消し去る魔法をかけていました。でも最近魔法が効かなくなって、その時の情景が頭からあふれ出し、離れなくなったのです。

この病院で、摂食障害に加えて解離性同一性障害と診断されました。9歳の女の子になるのです。そのほかにも数人の人格があります。ずっと前からその症状があったようです。


[ おわりに ] 

 上記の症例は一部、暴力被害、レイプ被害を含みますが、解離性障害の実例集としては、幼児期虐待とくに性虐待の被害者に片寄っているといえるかもしれません。これは赤城高原ホスピタルの治療実態と私の治療体験とを反映しています。解離症状は、ここに書かれているような体験のほか、交通事故被害、親族や身近な人の突然の死、学校におけるいじめ被害、教師による暴力被害、大規模災害、大規模事故、犯罪被害、戦争などのトラウマ体験でも生じます。とくに交通事故(遺族)、犯罪被害者(遺族)などに関して、私の治療体験は、それほど多くありません。

 成人してからのトラウマでは、離人症や比較的単純なフラッシュバック、記憶障害、夢遊病様の徘徊、フーグ(遁走)など、比較的軽度の短期間の解離症状が多いようです。ただ、戦争や捕虜、人質など、長期の極限の危機体験では、成人後のトラウマでも、重症のPTSDを生じることがあります。また幼児期からのトラウマ体験を経験している人は、ある種の脆弱性を持っていると考えられます。このような人は成人後のトラウマで重症のPTSDを生じやすいといえます。ただ解離性同一性障害は、13歳以後、あるいは成人してからのトラウマで生じることはあまりないようです。


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AKH 文責:竹村道夫(初版: 99/6) 


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