血を流しても守る物 |
昨日はくだんの「前橋演劇祭」の打ち上げに参加させていただいた。 が、発注主との協議により、ホームページはまだ終わらない。 演劇祭当日のもようを報告する、唯一のメディアとして残す予定だ。 各市町村で文化性の高い催し物が行われた文化祭だが、 果たしてそれを税金でやる必要があるのか、という疑問は尽きない。 でも、俺はやっぱり行政がちゃんとやるべきだと思う。 将来的にはNPOとかに任せてもいいんだろうけど、 市場原理に乗っかってこない以上、まだ行政の手が必要だと思うよ。 もっとずっと社会的階級の差があったころは、 貴族とか大富豪とかが文化や芸術を後援していたはずなんだけど、 現代の金持ちって、結局のところは実業家ばっかりだもんね。 儲からないことは、誰もなかなかやらないよ。 市場だけに任せていたら、音楽だって同じジャンルばかり売れるし、 スポーツだって、同じプロでも、種目によっては全然人気がないしね。 文化だって、もっと画一的になっちゃうんじゃないかな? 学校の部活動の場合、スポーツや文化に対して非常に理解があるけど、 社会だってそれと同じでいいんじゃないだろうか。 G県が自治体の事業として初めて、「眠る男」という映画を作った時、 「こんな訳の分からん物に公費を投入するな」って意見もあったけど、 自治体が芸術映画を守るために血税を投じた、ってことが重要なんだよ。 100人中100人みんなが納得する映画は、民間がやればいい。 もっとも、人選が正しかったかどうかまでは関知しないけどね。 小栗康平監督は、外国では名のある、すぐれた映画監督らしいけど、 もっと若手に挑戦の機会を与えても良かったんじゃないかな。 ところで、外国の賞って日本の映画を本当に理解してるのだろうか? |
芸術は凶行だ |
前段の小栗康平監督がプロデュースして、 初の屋外開催とあって、期待の高まる国民文化祭の開会式だったが、 前日から予報された通りの強い雨で、悲惨な事態となっていたらしい。 俺、屋内(前橋演劇祭)で良かった〜。 ……よくねーよ。 この時の「強行」とも言える強引な開催が、後に非難の声につながった。 水に弱い楽器は出せないし、舞台は転倒者が続出、スケジュールも短縮。 豪雨にもかかわらず来場したハートの熱いお客さんだって、 「雨で感動が増した」なんてフォローのない言葉聞いたら、そりゃ怒るわ。 さらに驚いたのは小栗康平監督。 決行の理由が「今までと同じ無感動な開会式にしたくなかった」だなんて、 いくらあんたが才能ある人間か知らないけど、そりゃ傲慢ってもんだぜ。 だいたい、開会式だけ目立ちゃいいってもんでもねーだろ。 でも実際のとこ、ほとんどの一般人はこうした状況を知らないんじゃないかな。 運良く皇族参加イベントだったから、表立って失敗と叫ぶ連中はいないし。 県にとっては非常に幸運な材料だったと言える。 もし今回、映画のように「お天気待ち」が可能だったならば、 「雨で感動が増した」という名セリフは、はたして聞けたのだろうか。 |