【 幼児期虐待、回復者のメッセージ 】
(改訂: 06/09/17)
はじめに 「ビジターの感想文+虐待と回復の体験談」
赤城高原ホスピタルHPの「虐待被害者の声」サイトを読んだビジターの一人、Yさんから長文の(感想文+体験談)をいただきました。とても力強い回復のメッセージなので、ご本人の了解の下に転載をさせていただきました。
[みんな絶対幸せになれるから大丈夫だってこと、分かってほしいです]
初めまして。ホームページを拝見し、虐待被害者の声を読みました。同じように虐待を受けてきたひとりとして、被害者の方々の回復を祈らずにはいられません。
実は、私も3歳から12歳まで義父から虐待を受けていました。「半殺しって知ってるか、死なない程度にすることだ」、「お前は口で言ってもわからないのだから、半殺しにしてやる」と言われてベルトで身体中を殴られたり、ベランダの手すりに逆さ吊りにされたりしました。殺してはくれなくて、あくまで「半殺し」でした。他人にはバレないように、洋服で隠れる部分だけを痛めつけるのです。だから見えない部分はいつも全身アザだらけでした。義父は薄笑いを浮かべ、「今日はどれにするかな? 選ばせてやろうか?」などと言いながら、毎日ベルトを選んでいました。
身を切り裂かれるような痛みに飛び上がって逃げようとしても、腕をつかまれてどうすることもできません。そういう時には、天井がグルグル回って気が遠くなりました。声にはなりませんでしたが、「死んじゃえばもう痛くないのに…」、「お母さん助けて」と、もうろうとした意識の中で叫んでいました。そういう時、母はいつも背中を向けて家事をこなし、私を見ようとはしませんでした。その時に私を助けたら、自分の命まで奪われると思ったからだと母は言います。そんな母も義父から毎晩のようにこぶしで殴られていたので、いつも顔が腫れ上がっていました。義父はまた、しばしば私を全裸にして目の前に立たせ、その姿を眺めながらお酒を飲んでいました。
私は、自分が悪い子だからお仕置きされても仕方がなかったのだとずっと思っていました。母がやっとの思いで離婚して、義父と離れて生活するようになっても、母が義父の悪口を言うと私は「仕方ないよ、お父さんも私にどう接していいかわからなかったんだよ」と答えていました。私は親思いの物分りのいい子でした。そうやって自分を納得させるしかなかったのかもしれません。でも私が心底から義父を許し、自分の人生に納得していた訳ではないことは、結婚後に思い知らされることになりました。
男性恐怖症の私でも、「この人なら大丈夫!」と思える男性と出会い、好きになって結婚しました。義父とは正反対のとても優しい夫です。そして女の子が生まれ、何不自由ない幸せな家庭を手に入れました。ところが、私の心の奥深くに隠れていた幼児期虐待の後遺症がある日姿を現し、私の幸せを破壊し始めました。私が虐待を受け始めた年齢に長女が達した頃です。誰にも負けないくらい優しい夫。かわいい子供。それは私がよくわかっているはずなのに。やっとつかんだ幸せな家庭のはずなのに。
長女が3歳になった頃、叱っても言うことを聞かない時、「私の幼い頃は口答えも許されなかったのに、この子はどうして…?」と思ってしまい、感情がコントロールできなくなったのです。叩いてしまうこともしばしばありました。泣いている長女を見ると本当に自分が情けなくなりました。思い切り叩く訳ではないけれど、暴力の怖さや影響力は自分がよくわかっているはずなのに、と思うのです。長女の泣き顔は、私の幼い頃のトラウマと重なりました。
私の恐怖や怒りは夫にも向かいました。仕事から疲れて帰ってきた夫が少しでも鋭い目つきになると、私は物凄い恐怖感でいっぱいになり、激しい動悸に襲われました。気がつくと、私は怒り狂って自分の腕に噛み付いたり、髪の毛をむしったりしていました。
長女に続いて長男が生まれましたが、私は子育てにすっかり自信をなくしてしまいました。私は母親失格ではないか、この子たちと離れた方がよいのじゃないかと思うようになりました。自分でコントロールできない自分の心。荒れ狂う私の姿を見て、夫も「離婚」という言葉を口にするようになりました。深刻な家庭の危機がやって来ました。
義父による暴力や虐待の恐怖から逃れ十年以上も後に、大好きな人と結婚して、子供を産んだ今になって、後遺症が出てくるとは、なんと恐ろしいことでしょう。義父に対して、「おまえのせいだ。私の家族まで苦しめるのか。私はまだ苦しまなきゃいけないのか」と殺してやりたい気持ちになりました。だけど今さらどうすることもできません。
しかしそんな私でも夫は諦めませんでした。夫は辛抱強く私を支えてくれました。夫は私の心の傷を理解しようと懸命です。虐待を受けたこともない夫なのに。そんな人に私の気持ちが分かるはずがないのに。
夫は私を受け止めようと必死です。その気持ちが痛いほどわかります。私はずっと愛情をもらえないまま成長しました。だから心の中にぽっかりと穴が開いているのです。夫はそういう私の心の隙間を愛情で少しずつ埋めてくれました。
子供に対する私の対応も、夫がいつもフォローしてくれているおかげで、少しずつですが変わってきました。長女に私の幼い頃を重ねる気持ちが薄れてきました。今でも大声で怒鳴ってしまう事は時々ありますが、子供に接する自分の態度をいちいち責めていてはダメなんだと思うようになりました。最近は、叱った後は子供をギュッと抱きしめてあげるように努めています。それは私が一番してほしかった事です。私は子供に対しても自分に対してもだんだん優しくなりました。
夫には感謝の気持ちでいっぱいです。結婚して6年が過ぎ、やっと私も普通の人間らしくなってきました。世界一優しい夫のおかげです。髪をむしる癖もなくなってきました。生きていて良かったと思えるようになりました。
私にもだんだんわかってきました。私が悪いわけではなくて、虐待をする人間が普通じゃないんだ。世の中にはひどい人間もいるけど、その分いい人間もいる。それに、自分を責めてばかりいたらいつまでも前に進めない。いつまでも義父に振り回されてたまるか!私はもう虐待をするような人間に負けたくありません。これ以上、子供も夫も苦しめたくないです。
赤城高原ホスピタルにたどり着かれた虐待被害者の方々の気持ちが私にはよく分かります。きっとみんな、死んだ方が楽だと思っているはずです。自分が幸せになれるなんて思ってないかもしれません。でも私は自分の体験から言えます。みんな絶対幸せになれるから大丈夫だってこと、分かってほしいです。自分を傷つけるようなことをしてほしくないです。生きていればきっといいことがある。生きていることのすばらしさを知ってほしい。
私は、私と同じような虐待被害者の力になれることがあるなら喜んで協力したいと思います。是非、力になりたいです。そして今現在、虐待を受けて苦しんでおられる方々を少しでも助けることができれば、私が生き残った意味があるのではないかと考えています。
そして最後に、赤城高原ホスピタルのスタッフのみなさん、毎日ハードで精神的にもすごく大変なお仕事だと思いますが、虐待による傷を背負って生きている人を辛抱強く助けてあげてください。
以上、Yさんからいただいたメール(02/05/29)です。当院HPに転載したいというお願いに、以下のように快諾をいただきました。
[虐待を受けたってまだまだ頑張れる、負けないぞ!!] (Yさんからの第2報)
義父と一緒に暮らしていた頃は本当に生き地獄にいるようでした。「死」の意味もわからない年頃だというのに、「死にたいな〜」といつも考えていました。今、娘がちょうど同じくらいの歳なんです。娘を見ていると、こんな小さな子が「死」を考えるなんて…、と自分の生きていた状況にゾッとします。忘れたいけど忘れられない体験です。このトラウマは一生私の心の中に居座るのでしょうね。やだなぁ〜と思う反面、この体験を忘れちゃいけないのかな、とも思います。今、どこかで虐待を受けている子がいたら、その子の気持ちをわかってあげられる大人なんてなかなかいないだろと思うのです。経験者じゃなきゃわからないこともあるから…(~_~;)
運が良かっただけかもしれないけれど、義父からの虐待を生き抜き乗り越えられたんだから、これから先、これ以上怖いことなんて多分ないだろうと思います。義父と別れてからは母子家庭になったので、お金の苦労もかなりしました。母があまりお金の管理を出来る人じゃないので、借金が膨らんでしまい、電気もガスも水道も止められた家で食べるものがなくて飢えをしのいだこともありました。挙句の果てには家賃を滞納して追い出されるし、ヤクザみたいな人が借金を取り立てに来るし、なかなか大変な人生でした。だけどそのおかげで今では生きていくことにすごく強くなっちゃいました(笑)。主人に話すと「平成の時代の話じゃないよな〜」なんて言われます。私にとってはその程度のことは今では笑い話なんです。私はこんな感じで、その場に応じて乗り越える図太さがあるみたいです。あの虐待の恐怖と比べると何だって耐えられる気がします。
一言で虐待といっても、状況はそれぞれ違うし、被害者の持って生まれた資質も違うので、後遺症の程度や回復の仕方はその人ごとに違うのでしょうね。ホームページを拝見して、私のように、カウンセリングを受けることもなく回復するのは例外的で、なかなか回復できずに悩んでおられる方が圧倒的に多いのかもしれないなと思いました。一人でも多くの人が順調に回復されることを祈っています。
私のメールですが、私の体験や文章で良ければ是非使って下さい。お役に立ててうれしいです。
将来、私は「虐待を受けたってまだまだ頑張れる、負けないぞ!!」ってみんなを勇気づけられる本を書いてみたいと思っています。
Yさんの記事を読んで、自分と似ているという方からメールを頂きました。
[Yさんの記事を読んで]
Yさんの記事を読んで、私と似ていると思いました。
私は、子供の頃、身障者の祖母を含め家族7人でせまい長屋に住んでいました。父親が社会的能力のない人で、ほとんど働かなかったためです。母親は、情緒不安定な人でした。多くの子供がいたので子育てのストレスや経済的不安があったこととは思いますが、とくに私が育て難かったという理由で、私を虐待しました。言葉の暴力、身体的暴力です。虐待は、14年間続きました。私のお尻には、ケロイドがありますが、それは、母親がむずかる私のオムツの上から熱湯をかけた時にできたものです。私が物心ついた頃、母親自身から聞きました。母親は「私がやったんだよ」と平気で言っていました。兄弟は誰も私をかばってくれませんでした。それどころか、中学生になると、兄からの性的虐待も受けました。ケロイドは一生消えない刻印ですが、もっと恐ろしいのは心の傷です。私は、幼児期から自殺ばかり考えていました。泣かない日なんて1日もありませんでした。
母親は私が高校生の時、亡くなりました。私は、27歳で結婚して、31歳で女の子を授かりました。やっとつかんだ幸せ。でも、若い頃には気がつきませんでしたが、私の心は壊れてしまっていました。娘が1歳の誕生日を迎えた頃から、私はノイローゼになりました。不安でパニックになったり、イライラしてお酒をのんだり、倒れたりするようになりました。私の心を理解しようと努力してくれる夫に、幸せに育った人に私の気持ちなんて、絶対分かるはずない、と当たり散らすこともありました。
このままだと、私は母親と同じだ、娘を虐待してしまうと思いました。私は最近、精神科を受診し、自助グループに通いだしました。義母が子育てを手伝ってくれるようになったので、なんとか普通の生活を取り戻したいと思っています。でも時々、本当に自分の壊れてしまった心が回復するだろうか、何時になったら良くなるのだろう、と不安になります。Yさんのメッセージを読んで、私もいつかきっと回復できる。進歩は一歩ずつでも、努力を続け、頑張れば、きっと幸せをとりもどせると思いました。ありがとうございました。(MKさん、33歳、06/09/17)
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文責:竹村道夫(初版:02/06/12)