施設長の独り言

  

 第11話 光徳会創設者 松本義範師の足跡

 
社会福祉法人光徳会創設者松本義範が亡くなり今年で17年になり、往時を知る人も少なくなり、追想記「松本義範師の追想」及び私達夫婦の記憶で師の足跡を辿り、師の仕事を記述することにより社会福祉法人光徳会の成り立ち及び理念を理解していただければと思います。師は高崎市北地区民生児童委員協議会会長ばかりでなく、全国保育協議会会長(全国の保育園の団体)、高崎市社会福祉協議会会長、群馬県社会福祉協議会副理事長等要職を兼ねていました。社会福祉活動以外にもさまざまな活動を行っていましたが社会福祉の活動を主に述べたいと思います。
 師は、昭和16年4月に方面委員に委嘱され昭和21年9月に方面委員改め民生委員をそのまま引継、更に昭和22年12月には児童福祉法制定に伴い児童委員も委嘱されました。社会福祉活動はこの民生児童委員活動が始まりです。当時の民生委員活動は生活保護が主たる活動であったと聞いています。昭和24年3月には常務(後の総務、現地区会長)に推挙され、昭和55年までの31年間総務を務めました。この間には、昭和25年5月には成田山保育園を開設しました。保育園を開設した理由は、追想記の故斎藤民(音楽家)氏の言葉を借りれば「成田山は子どもの頃の一番親しい大切な遊び場」ゆえの大勢の子どもがいつも遊んでいたことが大きかったようです。「保育所は乳幼児が通園する施設なので、小学校区に必要であり、地域と密着していなければならない」と主張されていたことを元全社協高年対策部山田美和子部長が回想しています。このことは今では保育所に限らず全ての社会福祉施設に共通の理念になっていますが当時としては画期的なことであったようです。
 昭和31年に起きた群馬県児童課統廃合問題に対し、県母親クラブ連合会と連携し猛烈な反対運動を展開し、これを阻止したと当時の担当者が追想しています。昭和35年1月には高崎児童相談所が豊岡に設置されましたが、手狭なために今の八幡に移りましたが、この移設には、師が高崎市用地課に相談し土地を斡旋してもらったことを当時の担当者が追想しています。更には太田児童相談所設置も師が働きかけたようです。昭和36年5月高崎市知的障害者育成会副会長(会長は元高崎市長住谷啓三郎)になりました。現在北小校区知的障害児育成会がありますが発祥は昭和36年になる訳です。知的障害者が自宅の座敷牢に置かれ、隣近所に分からぬよう悲惨な生活を送っていたことを師から聞いたことがあります。また高崎市宮元町に清涼園という知的障害者授産施設がありますが、この施設は、師がこの施設の母体の竜広寺住職にアドバイスして出来たと聞いています。昭和39年4月には県立群馬学院(児童自立支援施設)後援会をつくり常務理事になったことが追想録に記されています。また昭和51年には観音山の国立コロニーの運営懇話会委員の委嘱も受けています。知的障害者にも関係したことが委嘱を受けた理由のようです。当時コロニーの労働争議にあたって献身的な協力に感謝する記事を当時の担当者が述べています。このことは後年私達が老人ホームを開設するにあたり厚生省関係者に一方ならぬ協力を受けたことは師のお陰と思っています。
 昭和39年6月には県立保育大学校後援会をつくり会長となりました。保育大学校は、当初前橋市天川大島の戦中戦後使われた傷痍軍人職業訓練所の老朽施設を使ったが後に紅雲町に、更に現在の光が丘に移ってきました。紅雲町にあったのは婦人相談所で婦人相談所との交換を県当局に働きかけしたのは師でありました。ただ婦人相談所は売春前歴を持つ婦人収容の保護施設であったために地域住民の猛反対にあい、清水県知事の現地出向をももたらした反対運動であったが何とか解決したことを当時の県担当者が追想記で述べています。また育英短期大学前身の前橋保育専門学校設置に関して師が強く国・県に働きかけ早期に認可を受けたたことも当事者が追想しています。
 師は今まで述べた以外に、小・中・高校PTA会長、成田町区長、高崎仏教会副会長等様々の役職をこなしましたがやはりその主たる活動は社会福祉活動でありました。障害児を持つ訳でもなくまた生活に困っていた訳でもないのに、ここまで社会福祉活動に邁進できたのは何故だろうか。私達夫婦も良く分かりませんが、「仏に帰依した者」と言うのが正解のような気がします。
 師は、老人ホーム設置を希望しましたが土地・資金等の問題で断念しましたが、師が亡くなって6年後の平成6年に私達夫婦が伊勢崎市に特養ホームを設置し師の夢を実現した形になりました。私が県の会合に出る度に師の名前が県職員の口から出るのにはいささか閉口しましたが、師の実績は認めざるを得ませんでした。元群馬県知事神田坤六氏の追想記の言葉「たいへん暖かくやわらかい温容で接して下さる」精神で、社会福祉の増進に務める決意を新たにし、師の足跡を振り返りました。
 


         
平成16年12月31日   小林直行




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