施設長の独り言
第12話 主任児童委員の思い出
私は平成6年1月に主任児童委員の任命を受けました。既に十分な活動実績がある民生・児童委員とは別に、新たに主任児童委員制度が出来ましたが、主任児童委員が任命されるまでには候補者が二転三転したと聞いています。民生・児童委員が兼務される形で市役所に申請したところ「兼務では駄目です」と言われ差し戻されたり、人生の経験者を選んだところ年齢は55歳未満でないと駄目で、結局私の所にお鉢が回ってきた経緯があります。私は当時、現役の高校教師をしており当初3ヶ月間は定例会に出席できず(平成6年3月31日付けで退職し、4月1日から老人福祉施設を経営することになっていました)、定例会で他の民生児童委員の方から「主任児童委員は出席するのですか」と質問され、当時の総務(現在は会長)は「4月からは出席します。」と返答されたことを後日聞き、有難く思いました。
主任児童委員になったのはいいが、当時は、訪問をしてはいけないとかケースを持ってはいけないとかの制約があったり、主任と名が付いたばかりに他の児童委員の方からは「私たちよりは偉いんだ」といったような誤解もあったようです。行政は様々な研修を実施し、私たち主任児童委員にはもっぱら児童の問題に関わって欲しい熱意が感じられました。というのも、民生児童委員が老人問題で手一杯で、児童まで手が回らない現実があったようです。児童虐待等児童をめぐる諸問題が話題になりかけており、早急に打開しなければならない実情があったようです。
私は教師上がりのためか小学生以降の子ども達はある程度理解も出来るし、現実にいろいろな問題にも立ち会ったことが有るので対応できるのですが、就学前児童に対してはとんと分かりません。就学前児童に対しては母性としての女性が向いているように思います。ある時、このことを女性の主任児童委員に話したところ「相談するんだったら女性より男性を選ぶ人もいます。同性では相談しづらい。」といわれたことを思い出します。とにかく10年前に比べ、更に子どもの数が減り、虐待等子どもに関わる問題が増え、社会全体で考えねばならない時期に来ています。子ども虐待については、高経大細井教授の言葉が私の考えに大きな影響を与えましたので、この言葉を引用して私の主任児童委員の思い出を終わりにしたいと思います。
「悪者づくりをしない。虐待する人のせいにしない。『虐待する親の気が知れない』とか『生まなければよかったのに』とか『母親じゃあないよ』と社会が向ける言葉は、虐待者を更に追い詰め、ますます闇の世界に追いやるもので、決して虐待防止にはつながらない。これらの言葉は、子どもにとっていたわりの言葉でも心を癒す言葉でもない。それは子どもにとっては虐待者であっても親であることには変わりないからである。」
平成17年2月28日 小林直行
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