7月某日今日から新採用職員2名が働き始める。午前中は概要説明と就業規則の説明、午後は各部門を取材し内容をまとめる。二人とも長く働いて欲しいのだが、残念ながら1名は1か月も経たない内に辞めてしまった。

7月某日本日賞与を支給した。平均支給月数は2.03月分である。なかなか厳しい時代であるが、何とか世間相場位はこれからも支給したいものである。

7月某日
地元豊城町長寿会に寄贈していただいた小ぶりなひまわりが今年は病気と言うことでうまく育たず、その代わりにサルビアを植えていただいた。秋まで花を咲かせるサルビアを寄贈していただいた長寿会の皆さんありがとうございます。
   
7月某日
レジデンシャルケア会議出席のため軽井沢に行く。軽井沢は涼しくて最高であったが、会議は散々であった。レジデンシャルケアとは、何らかの介護を必要とする人が暮らす居住施設におけるケアと、この会議の主催者が説明していた。居住施設が良ければよいケアができるのは当たり前である。事例発表者は、在宅の重要性を強調しながら自法人の居住施設を誇らしげに語っていたが、バカバカしくなって嫌になってしまった。介護保険の在宅指向とどう折り合いを付けるのか。在宅と言ったって、今の住宅は介護するのには狭すぎる。1979年EC(ヨーロッパ共同体)が、日本の狭い家をウサギ小屋と形容し、貯まり過ぎる外貨の使い道としてウサギ小屋住宅を広くしようという議論があったが、ご覧のとおり狭い住宅のままである。レジデンシャルケアとは豪邸に住む人への介護か。
           
7月某日伊勢崎市の七夕祭りに特養入居者と共に参加する。蒸し暑かったが、にわか雨があったりで例年のような暑さでなかったのが幸いした。ボランテイアの皆さんにも協力いただき楽しい一時を過ごした。ボランテイアの中に堀地市議会議員もおり、父金三氏共々ボランテイア活動に参加されている。

7月某日伊勢崎市養護老人ホーム入所判定員として判定委員会に出席する。家庭事情や経済事情によって養護老人ホームに入所しなければならない市民が多いことを実感する。今養護老人ホームはケアハウスか特別養護老人ホームにするかあるいはその他の施設にするか議論されている。養護老人ホームでしか生きていけない高齢者がいる現実は重い。国・行政にきちんとした対応を望む。

7月某日特養入居者の成年後見制度を利用する話が具体化してきたのに伴い、この入居者の家族、司法書士が来訪する。この制度は、入居者が存命している間だけで、亡くなった後の相続処理については制度の範囲外と言うこと。これができるのは弁護士だけ。ちょっと残念である。

7月某日群馬県と県老施協共催による介護報酬説明会に参加する。10月から、特養とデイサービスの食費が全額自己負担になること及び特養の居住費も保険対象外になって全額自己負担になるのに伴う説明会である。あまりに急激に制度が変更され、更に介護はマンパワーに頼らざるを得ないのに、ただ単に介護報酬を減額すれば事足りるとする厚労省の姿勢には誠に腹が立つ。働く介護労働者は血の通った人間であり、ご飯も食べれば病気になることを、官僚役人は知らないのか。

7月某日地元殖蓮地区民生児童員研修会を当施設で行う。グループ討議をしていただき、その内容は、「地域高齢者との関わりの中で、困難を感じること・疑問点・知っておきたいこと」で、少しおこがましかったのですが、当方で内容を決めさせていただきました。いろいろな意見がたくさん出て大変参考になった。良い研修会であった。
  研修会         伊勢崎祭り
7月某日来月で退職を希望する看護職員が出たので、介護支援専門員を募集した所すぐに応募者がいて即採用となった。在宅部門の専門員も8名となり益々地域密着サービスを充実できる。しかし、特養介護職員は未だ補充できない。

7月某日群馬県老人福祉協議会主催の新任職員フォローアップ研修会が開かれたので、当施設も2名の職員を出席させた。内1名は中途採用の看護職員である。実は私はこの研修会の主催者の一人で、今年度から2年間研修委員長として実りある研修を企画しなければならない。3月に行った新任職員研修のフォローアップなので、長く介護の仕事に携わってもらえればと思って企画した研修である。

8月某日元厚生官僚と飲食を共にする機会があった。この元官僚は、障害者福祉政策にも応益負担が導入され、今審議中の障害者自立法案が可決成立すると、今までの障害者の生活を保障する福祉はサービスを買う制度へと様変わりすると嘆いておられた。障害者も高齢者も生活は自分で何とかしろ、という社会保障無策の弱肉強食の世界に入っていく、恐ろしい世の中になる。(施設長の独り言セーフテイーネットとしての特養の今後

8月某日歯が痛むので医者に行った所全部治さなければならないと言われた。そう言えばここ15年程医者に行ってない。割合歯が丈夫なのでほっといたのがいけなかった。寄せる年波には勝てないと言うことか。8020運動を知っていますか。80歳で20本の自分の歯があるようしましょうという運動です。8020目指してきたが無理か。
      
8月某日特養入居者が亡くなったのに伴う金品の引継を行った。この方は身寄りが無く市役所の要請で入居させ、身元引受人も議員にお願いした方であった。この方が当施設に入居してから妻や子どもがおりこれら親族と連絡が取れ、親族に金品を渡せたことは本当に良かった。このような仕事こそ社会福祉法人の仕事だと思った。

8月某日本日から5日間夏休みを取りベトナムに妻と出かける。当初妻はベトナムなどに行くのは嫌がっていたのだが、知り合いの親子に説得され渋々出かけることになった。30年前、私が大学生の時、旧サイゴンに有った南ベトナム政府大統領官邸に北ベトナム戦車が突入した所が見たく、またその後ドイモイ政策によってどのようにベトナムが変わったのか見たく、以前から行ってみたい外国の一つである。詳しくは、施設長の独り言16話で書く予定なので2カ月後をお楽しみに。

8月某日ベトナムから朝帰ってきて、少し寝た後午後5時からの特養の納涼祭に出席する。生憎にわか雨で、会場が食堂に変更になってしまった。地元小保方議員や民児協下城会長、ボランテイア協会大山支部長も出席していただき、家族もたくさん参加され、楽しい一時を過ごした。家族と夕食を一緒に食べた入居者も多かった。
   
8月某日再び然、火災報知器が作動し、けたたましいベルが施設中を駆け巡った。6月の時は原因が分からなかったが、今回は原因が分かった。ボイラーが設置されているその天井の感知器が熱のために劣化し誤動作した。この感知器を交換したのであと10年間は大丈夫であろう。 

8月某日ケアハウスの納涼祭である。当施設は全体の納涼祭は、ここ最近行っていない。開設5年程は盛大に行っていたが、各部門別に行うようになった。ケアハウスは、自立した方が多いので各入居者がそれぞれ役割を持ち、料理する人、飾り付けをする人、売り物の商品を作る人と皆が協力している。
   
8月某日伊勢崎市内の老人福祉施設の情報交換会を行う。市町村の合併によって7施設だったのが10施設になった。時々このような情報交換会を行いお互いの懇親を深めている。

8月某日2名のケアハウス入居者の契約を行う。問い合わせは沢山あるが、なかなか決まらない。自立した方が入居の条件であるが、管理費はなく日本一安いのに何故だろうか。


     群馬県老施協ホームページhttp://www.jsgunma.jp



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