9月某日今日は防災の日ということで大規模な防災訓練が全国各地で実施されたという。当施設でも火災・避難訓練を年2回行い、専門業者によるスプリンクラー点検、ボイラー点検、消防設備点検を行っている。また日頃から内外部を職員による点検を行っている。不具合が見つかったら即修理修繕を依頼する体制になっている。
 それにしてもアメリカはニューオリンズの台風被害は我々の想像を超える出来事であった。堤防が簡単に壊れそこから海水が押し寄せ市の大半が水没し、取り残された人達が多数いたという現実は、本当にアメリカなのか、というのが大半の日本人が考えたことだと思う。以前から堤防が低く水没の危険性があると専門家から指摘を受けていたにもかかわらず何の手だても打たない現実。車を持たないために避難勧告が出たにも関わらず自宅にとどまざるを得ない現実。略奪・強盗が起こる現実(インドネシア津波被害にあったアチェ州では起こらなかった)。超大国アメリカの抱える現実は、私が学生の頃の30年前と少しも変わらない。弱肉強食を肯定し、努力して勝ったものが報われ(努力しただけでは駄目)、負けた者に明日はない現実が今回のニューオリンズの台風被害であぶり出された。アメリカの言いなりになってはいけない。アメリカとは所詮こんなものであることを肝に銘じなければならない。イラクをはじめとした中東諸国でアメリカ嫌いが多いのも頷ける。


9月某日全国社会福祉施設経営者協議会全国大会出席のため新潟に行く。社会福祉事業は、今曲がり角に来ている。全て少子高齢化と国・地方の700兆円を超える借金にその理由がある。介護保険施設経営は、先細る介護報酬に見合った支出をどうしていくかに尽きる。支出の大半は人件費なのでそこに働いている職員に涙を呑んでもらうしかないだろう。人事院の勧告で、今年の年収は昨年度に比べ4.7%の減額勧告がなされた。北海道にいたっては10%の減額である。当施設では、人件費以外の支出の無駄を徹底的に省いているので、過去減額勧告時にも、給与の減額はしていない。今年度も減額はしないつもりだ。

9月某日
新潟に来たついでに新潟で教員をしている大学時代の友人と杯を交わした。この友人は、新潟の某進学校の教頭を今年度からしている。自分でもまさかと思ったらしく、私もそう思うと言ったら怒られた。翌日は、この高校を見学した。新潟県の威信をかけた校舎で勉学するにはもってこいの環境である。「こういう高校の卒業生は福祉の世界などには決してやってこないんだろうな。」と友人に言うと、「そうとも限らない。新潟は働く所が少ないから福祉業界に進出する生徒もいると思うよ。」と慰めてくれた。
   
9月某日
職員の親の葬儀に参列する。まだ若くこれからという時の親族の死程辛いものはない。家族が協力してこれからの生活を設計していただきたい。
           
9月某日特別養護老人ホームのパソコン介護ソフトを導入するためあちこちの会社のソフトや既に導入したソフトの見学に余念がない。私の考えは、記録を省力化し、2度3度と書く記録を1度で済ませ、余った時間を入居者との触れ合いにあてたいということである。お金はかかるが、何とか良いソフトを導入したいものである。

9月某日地元豊城町の敬老会に招かれた。豊城町は人口3344人、高齢者人口800人高齢化率23.9%と山間部の町村と遜色ない規模である。この規模で会を催すには助っ人が必要であるが、友の会と豊生会の二つの若手のグループが必要になる。この地に特養を作ってから12年目になるが、良く地元に受け入れてもらえたと地元の人々に感謝している。今後も地元のために良いサービスを提供できるように頑張っていきたい。

9月某日施設の敬老会を実施する。特養とケアハウス75名の方々に矢内伊勢崎市長が慶祝状を手渡された。市長には昨年に引き続き出席していただいた。ありがとうございます。

9月某日デイサービスを利用されている方で今年100歳になられた方のお祝いに群馬県、伊勢崎市の担当者が来訪されその長寿を祝った。この方は矍鑠(かくしゃく)とし、凛(りん)とした態度は明治39年生まれとはとても見えない。
 敬老会  100歳到達者


9月某日介護職員を捜しに長野市まで面接に出向く。昨今の求人状況は厳しく、なかなか退職者の後任が決まらない。はるばる長野まで行ってもこの人は駄目であった。厚労省は施設から在宅へと政策を転換させているが、その在宅介護の決め手となるホームヘルパーや訪問看護師など訪問系の人材が集まらない。ほんの半年前までは求人状況も何とかなったが今は人が集まらない。この点を国に問うと法人力で乗り切ってくださいという。法人力とは何だ?

9月某日11月から提供する米の試食会を行う。当施設では給食を医療食業界では日本一の会社に委託しているが、ときどき米の試食会を開いて美味しい米を選んでいる。ちなみに当施設の1日の食材料費は全国平均が824円のところ997円である。

9月某日特養の入居者9名が家族、ボランテイア、職員に付き添われて近くのアピタまで買い物・食事に出かけた。暖かく外出には絶好の日和である。

10月某日朝礼で新採用の管理栄養士を紹介する。今月から介護保険制度が改正され食費は全額利用者が負担することになったために、管理栄養士がいるとその分体制加算があるために急遽管理栄養士を採用した。当施設は全てのベッドが多床室扱いなので、居住費が1日320円である。ユニットケアを導入した特養は利用者負担が多くなり大変である。昨年20床の増床計画があったが、大金がかかり厳しい状況が予想されたので増床せずに正解であった。

10月某日職員親睦会主催の食事会でフランス料理を楽しんだ。フランス料理以外に、ステーキ料理、京料理と3点から選ぶのだが、私はフランス料理を選んだ。毎年大きな宴会場で職員一緒に行っていたのだが、今年の幹事のはからいで自分で選べる料理店での職員親睦になった。不思議なもので各部門をバラバラにするよう座席を決めるのだが、くじの都合で夫婦で相席になったりで思うようには行かない。
      
10月某日職員の結婚式で前橋に出かける。今年はやけに多く、来月そして来年2月にも結婚式がある。私は高崎に住んでいるので、前橋には電車で出かけ、美味しいシャンパンとビールをいただいた。今回の二人は職場結婚なので二人への祝辞を一度にしたが、なかなか難しい。来月は何と言おうか。

10月某日施設の食事の値段を、朝食300円、昼食600円(おやつ・飲み物代も含む)、夕食480円計1380円と決める。本当は16年度決算で1500円かかっているので赤字になるが、食材料費は落とさず、収入アップで乗り切ろうと思う。厚労省は当初には1500円を考えていたが直前になって1380円とした。なぜだ。許せない。

10月某日伊勢崎市が公募している指定管理者に応募することになった。当施設から近い老人福祉センターとデイサービス及び生きがいセンターの事業である。指定管理者側に不利な条件であるが、当施設と一体になったサービス提供ができるし、所長候補者も指定管理制度の趣旨を良く理解し社会福祉の造詣が深い適任者がいたので応募することになった。しかし、書類を作成するのにてんやわんやの騒ぎになった。ご苦労様でした。
   
10月某日群馬県老人福祉協議会主催の各研究部会合同研修会の責任者として出席する。今回の講演は、横浜国立大学堀之内先生による「福祉介護者のストレス解消法」と題する内容である。講演有り、実技有り、実践有りでなかなか楽しい講演会であった。来年は何にするか。 

10月某日特養バスハイクで水沢観音お参りと水沢うどんの食事会を行うというのでついていった。天気も旅行日和で各地の福祉施設の入居者もたくさん来ていた。昔は、入居者が元気な時は草津一泊旅行もしたが、今は日帰り旅行で十分利用者も家族も楽しんでいる。
   
10月某日パソコン介護ソフトが決まりその使用説明会が連日開かれている。利用者のケース記録が手書きからパソコン入力になるのだが、職員によって得手不得手があるのでこれからどう職員にパソコン入力を教えていくのか。焦らず少しずつ気長に見守っていこう。

10月某日デイサービス利用者に専門家によるマッサージを無料で提供している。週2回別々の先生に来ていただいている。今月から利用者の自己負担額が増えたのに伴うせめてもの無料サービスである。

10月某日だんだん寒くなり夏の暑さが懐かしく感じる今日この頃、インフルエンザの予防接種が入居者、職員向けに始まった。高齢者の接種代は公費で行われるが、職員向けには薬代1050円の負担だけで行っている。冬、インフルエンザに備えてのせめてものはかない抵抗である。

10月某日東北学院大学岡田助教授からメールがある。先生は低コストで高品質なサービスをどうしたら提供できるかを研究していらっしゃるが、昨今のユニットケア旋風にあおられて先生の研究もなかなか日の目を見ない状況にあるという。しかし、介護報酬の減額と介護労働者獲得難から先生の研究はきっと日の目を見ると私は確信している。先生の研究室におじゃましてご指導を仰ぎたいと思っている。

     群馬県老施協ホームページhttp://www.jsgunma.jp



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