施設長の独り言

                                 

 第24話 中華人民共和国を旅して思うことNo1

 毎年の成長率が10%を超える中華人民共和国(以下「中国」という)は今後どうなるのかというのは、私が学生時代からの関心事のひとつである。学生時代、私は公害問題研究会という学生サークルに属し、専ら公害に反対する住民運動の助っ人(格好良く言えば助っ人だが、実のところ派遣要員)として動いていた。ある時、日本の雑誌に中国の公害が抑止されたという内容の記事が掲載された。当時の日本では一定の評価を得ていた技術論専攻の評論家によって書かれた記事であり、また中国の政治体制に心情的に共感を得ていたこともあって「さすが中国。たいしたもんだ。」と感動した覚えがある。しかし、この記事は確証が得られず、他にフォローされること無く終わった。この目で確かめ現地の人の話をきちんと聞いた上で自己判断しなければならないと思った。とはいえ4000年の歴史を持つ眠れる巨人中国の動向には目を離せなくなったのも事実である。記事が掲載されてから30年も経って中国のいくつかを見て回り現地住民の話を聞いて確認したことを中心に私が思うことを述べることにする。
 中国の建物は外見がとても大きく立派である。しかし中身はお粗末この上ない。西安に行ったとき現地女性ガイドは、マンションを買ったのは良いが内部が全く出来ていないので工事の発注や監督に毎日のように通う必要があるので大変だという。日本のようにすべて込み込みがうらやましいと言っていた。買ったマンションはコンクリート剥き出しのままで床、内装、キッチン、内部ドア、トイレ等すべて自分で工事業者を見つけ備品も自分で決めなければならないと言う。金額も買ったマンションと同じ値段になり監督をしないとすぐ手抜きをするという。効率化の余地が有りそうである。日本の不動産業者がALL・IN・TYPEのマンションを中国で発売するという記事を見かけたことがあった。売れたのだろうか。
 中国各地に博物館がある。北京には故宮博物院がある。しかし展示品は二級品(一級品は台湾にある)で外見の割に見る価値に乏しい。ならば創意工夫があるかというと残念ながら無に等しい。上海にしても敦煌にしても同じである。どこの博物館も展示内容が同じである。先史、有史時代の発掘物を並べるだけ。敦煌博物館では楼蘭で発掘された若いヨーロッパ系の女性ミイラを期待したのだが展示されていない。昨今、日本人は一時ブームになったシルクロード地域に行っていない。現地ガイドは「なぜ日本人は来ないのですか?」と言うものだから私は「敦煌に変わって九寨溝に行くんですよ。(九寨溝は四川省北部標高3000mにある石灰岩と水が織りなす景勝地。登山家の田部井淳子は冬も絶景であると賞賛していた。また深圳のガイドは10月の第2週以降が良いと推薦していた。第1週までは祝日で中国国民が大挙して押し寄せるという。)」と答えた。
 中国のトイレ事業は悪いというのが世間相場である。悪いと思って対処したほうがよいだろう。上海から杭州までの高速道路の女性トイレはきちんとドアも閉まったが、敦煌の空港内女性トイレはドアを手で持っていないと開いてしまう。敦煌空港は別の場所での建築が進行中で用無しになる所にはお金をかけないということだろうか。しかし2~30年前と比べれば良くなったという。公衆衛生の概念が希薄のようである。
 中華料理は美味しいと思う。肉でも魚でも野菜でも素材を生かした味はすばらしいと思う。しかし厨房を偶然見てしまった方はその汚さに唖然としたことだろう。使い残した素材や残滓がこれでもかと辺り一面にまき散らかせられた有様はずっと脳裏に焼き付いて離れないであろう。かつて日本でも残滓は家畜の餌にされてきた。だから中国のこの事が悪いと言うつもりはないが、ネズミやゴキブリの巣と化し様々な病気の発生を考えると何とかしなければならないと思うのはごく自然だと思う。
 中国政府も環境問題には力を入れているようだが、なかなか成果が上がらないことは政府も認めている。自分たちの身の回りをきれいにしてこそ環境も良くなると思う。確かに企業を問題にしたがるしまた企業の排出物は危険度が高い物が多い。チッソが排出した有機水銀によって引き起こされた水俣病、四日市喘息を引き起こした企業群や神岡鉱山から排出されたカドミウムが引き起こしたイタイイタイ病等の公害病は、日本は公害の見本市かと思うほど日本国民や世界に与えた影響は大きかった。企業に責任をとらせ国の責任を追及し一定の成果を得たのも事実である。告発型の公害追放市民運動が各地に起き我々の生活を見直すきっかけになったのも事実である。その後この告発型に変わり啓蒙型市民運動が起こり社会をあげて環境を良くしようという世論が巻き上がり、それが現在も続いている。分別収集の徹底、浄化槽の設置、野焼きの禁止等身近な生活環境を良くする努力は日本国民の義務になった感がする。当然企業の責任は問われ、現在では公害を起こす企業の存続はあり得ない程までに企業の責任は重くなっている。残念ながら中国には企業も国民も環境汚染を問題視し、自分の責任とする意識は弱い気がする。深圳(しんせんと読み、香港の北に隣接する人口1000万人以上の市。1980年経済特区に指定されてから急成長した)を訪ねたおり、幹線道路を通行中突然何ともいえない異様な臭いがしてきた。ガイドに聞くと「この辺一帯はいつもくさい臭いがしていて、特に夏は我慢できないほどになり窓を閉めないと寝られない。企業が出しているんだ。」と言う。企業や市政府に言ったらどうですかというと、ガイドは「俺達が言ったってだめだ。俺は農村戸籍で深圳には住んでいるけれど市政府は農村戸籍の奴の話なんか聞かない。市政府は税金をたくさん払ってくれる企業の言いなりだ。だから俺はお金を一杯稼ぐことだけ考えているのさ。深圳に住んでいる俺みたいに農村戸籍の連中は皆そうだ。」と言う。八方塞がりのことはよく分かるが、日本のように多大な犠牲を払ってからでは遅い。もう一つ具体例を出そう。蘇州夜曲や寒山寺で有名な蘇州。蘇州は運河が張り巡らされている。この運河を船で回ってみようということになった。柳川や松江の船旅を連想したのだが、あにはからんや中国の実体を見ることになった。運河の隅は発泡スチロールで一面覆われている。運河に面する住宅からは家庭排水の嵐。これでは臭くて当たり前。船旅が廃れるのも納得。昔の日本を見ているようだった。昔は川にゴミを捨てるは、家庭排水は家の敷地に穴を掘ってそこに捨てていた。家庭ゴミや排水を気の赴くまま捨てているのだから企業経営者がゴミや排出物を捨てて何が悪いのかとなるのも納得。
   
共に深圳市内
    
 さて深圳のガイドが言っていた農村戸籍とは何か。日本で戸籍と言えば、いつどこで生まれ、親は誰で誰が役所に届けた事が記載されていて普段の生活で戸籍を意識することはほとんどない。しかし、中国では戸籍がものを言うのである。ものを言うのは都市戸籍で、農村戸籍は、ガイドが言うのにはだめだという。その言った内容とは「俺は深圳から汽車で1日以上かかる中国の農村都市の出身。高校の同級生で地元に残っているのは市役所に入った3,4人だけ。他は俺みたいに皆故郷を離れて生活している。俺は北京大学(北京大学は清華大学と共に中国を代表する国立大学)を志望していたんだけど少し点数が足りなかったので北京大学には行けなかった。もし俺が北京市の都市戸籍を持っていたら楽々北京大学に入れた。自分より点数の低い奴が都市戸籍を持っているだけで北京大学に入れたんだ。不公平だよ。俺は日本語に興味があったので中学時代から日本語を勉強していたので日本語をうまく話せる。だから日本に留学する方法もあったんだけど、たまたま点数が良かったので北京の大学に入学することになった。俺の弟は勉強が出来なかったので早々と日本に留学(日本でもそうだが優秀な子は中国国内の大学に進学する)することを決め、今は日本の会社に就職し俺が持てない車を持っている。身内も弟と日本で暮らしている。俺は農村戸籍なのでこの深圳では車の免許を取れないし車も持てない。もっと問題なのは自分の子どもが深圳の公立学校には入れないんだ。入ろうと思うと多額のお金が必要になったりで大変さ。理由は子どもも農村戸籍だから(子どもの戸籍は母親が持っている戸籍になる。この場合、子どもが農村戸籍ということは母親つまりガイドの妻が農村戸籍)。日本ではどこで生まれようがどこに住んでいようが公立の小中学校には入れるだろう。病院にかかるんだって何時間も待たされ更に医療費も高いんだ。病院の受付番を取る仕事だってあるくらいだ。今になってみると弟は日本に行って良かったと思うんだ。俺は小さい頃から中国は一番だと教育されてきたが、日本の新幹線に乗って驚いた。速く、揺れが無く快適そのもの。中国はまだまだ勉強が必要だと思った。」とさんざん今の境遇のやるせなさを蕩々と述べた。これらガイドが述べたことはすべて事実であると思う。中国について書かれた書物や新聞等で報道されていることとものの見事に一致する。中国が一番と教育された事実は前の国家主席江沢民の政策を反映させたものである。ガイドが言った内容で農村戸籍の意味が良く分かったと思う。中国の都市部には他のアジア諸国で普通に見られるスラム街が見られない。これは農村戸籍者の都市への移動を強く制限したためである。この点では良かったと思われる。しかし最近は中国沿海部の発展に伴い農村部の労働者確保に伴う農村戸籍を持つ労働者の医療、子弟教育等で新たな問題になっている。
 13億の人口を抱える中国では政府の政策も末端に行けば行くほど変化していく。笛吹けど踊らず的になっている面が数多い。公務員の汚職は数知れないし、またお金が有ればたいていのことが解決する現状では、国民は誰を信じて良いか分からず、結局「金が一番」となる刹那的な現実がある。中国政府が政策を一歩間違えれば大変な事態になることは、第三者から見れば容易に想像できる。しかし、中国3000年の歴史では政権交代は日常茶飯事であった。ここ100年間でも国民党が清朝に代わって政権の座に就き、今の中国共産党が国民党に代わって政権の座に就いたことも中国国民にとっては政権交代のひとこまであり何ら驚きに値する問題でも無いのかもしれない。だから政権交代期にはじっと耳をそば立て先行きを見据え、自分にとって一番良い選択をすればよいと思っている節が伺える。なかなかしたたかである。やはり私の関心を引き付けさせる隣国である。
 



      平成19年2月28日  小林 直行

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